私は8人兄弟の3番目。兄の六夫(故人)は川中45期生、妹のヒサ子は川高8期生、弟の育郎は川高17期生。戦後の農地改革で田畑を国に召し上げられた父の善喜(S36年没)は永利中学校の校長を辞め、家を継いだ弟の士郎と母のミヱの3人で残りの田畑を耕し、私達を学校に行かせてくれました。
私は、家(矢倉町)から5キロ離れた川高に3年間、一日も休むことなく歩いて通学しました。卒業後、中郷の病院に住み込みで就職、初月給は4500円で食・部屋代を差引かれて手取りは僅か750円。楽しみと言えば、月1回の半休に、街に出て松竹や若草で映画を見るか、実家に立ち寄って両親や弟妹の元気な顔をみる事ぐらいでした。
そんな時、私は、俳句に出会い、五・七・五のリズムの心地良さと日本語の美しさに魅了され、これならお金もかからないと、水原秋桜子の主宰する「馬酔木」に入門、俳句を始めました。季節の風景や感じたことを17音という短さで表現し、できた句をじっと眺めて、季語が入っているか、感動や余韻が相手にちゃんと伝わるか…考えながら俳句を作り、その中で一番気に入ったのを投句していました。俳句雑誌「馬酔木」に掲載されたりすると嬉しくて創作意欲が湧き、俳句にのめり込んでいった若い日々を思い出します。
私は今でも、どこに行くにも、いつも手帳を持ち歩き、出会った風景や出来事を観察しながらペンを走らせています。
最近は、RKBのバラエティ番組「プレバト」で凡作を名作に変身させる俳人夏木いつき先生の劇的添削を見ながら、俳句は奥が深いと勉強しています。ここで、私の愚作の中から7作を選んでご紹介します。
結婚以来、専業主婦の私は、二人の子供が小学校に通うようになると粕屋地区のママさんバレーボールチームに入りました。私も選手として出場したチームがママさんバレー全国大会で優勝したことがあり、東京オリンピック金メダルの東洋の魔女の大松監督から優勝旗を手渡され、「愛」と書かれた色紙を頂いて大感激しました。
それが縁で、35歳の頃、粕屋西ジュニアバレーのコーチになり、何度か全国大会にも出場しました。その間に指導した児童は256名を数え、その中には博多女子高で活躍、17歳で全日本代表入り世界選手権に出場した坂本久美子さんがいました。その時の子供達の成長を見るのも楽しみです。
米寿を迎えた私の姉は和紙人形、3人の妹達は舞踊、絵と陶芸、和太鼓と踊り…とそれぞれに趣味を楽しみながら元気に過ごしています。私も見習って、今、ちぎり絵教室に通っています。歳を重ねる毎に足腰の痛みは出てきましたが、それでもこうして元気でいられるのは趣味があるからと思って頑張っています。(2018.10.5記/旧姓;新留)<創立50周年記念誌より転載>
九州大学や福岡大学等の教授として教鞭をとられ、アメリカ文学(特に、怒りの葡萄で有名なスタインベック)に関する研究で多大な功績を残された橋口保夫先生が7月30日永眠されました。先生は福岡可愛山同窓会にも度々出席され、後輩たちの成長を目を細め温かく見守ってくださいました。ここに、ご生前のご厚情に深く感謝いたしますと共に安らかなご永眠をお祈りします。
※ご遺族の森あおい様(明治学院大学/国際学部教授)からご連絡頂きました。(2020.9.1 代表顧問/新留育郎)
橋口保夫先生の思い出
九州大学名誉教授・福留久大(ふくどめひさお)・川高12期
2020年8月4日、九州大学教養部時代の同僚、鹿屋出身の英語科の田島松二先生から、電話がありました。久留米在住の野口健司先生から「沖縄の知人から橋口先生の訃報が届いた」と電話があった由、何か知りませんか、との問い合わせでした。妻が所属するルーテル教会を通じて、7月30日召天、7月31日8月1日に草苑で家族葬が営まれたことを知りました。新型コロナ禍で広く報知は出来なかったのでしょう、草苑は、私宅から近くですので、わかっていたら参列できたと残念に思いました。
私は、1970年に九大教養部に経済学教師として赴任いたしました。川内と東大の同窓のよしみで、橋口先生にはすぐに声を掛けて頂き、その後、教養部の鹿児島出身者の会、かごんま会で(数年前、耳が遠くなったと欠席されるようになるまで)お付き合いいただきました。この会合で、先生の意外な一面を知りました。通常は、微笑を湛えて柔和に「福留さん」と話しかけられる先生ですが、酒量がある限度を超えた瞬間に「おい、福留、勉強せんといかんど!」と薩摩弁を交えて叫びつつ、背中をドスンと叩かれるのです。先生は、外側は観音に見えて、内側に強固な一面を保持しておられるのだと思いました。先生は、1941年に旧制川内中学卒業、旧制第七高校入学、1943年に七高卒業、東京大学英吉利文学科入学の経歴をお持ちです。1943年と言えば、日本は対英米戦争の真っ最中、世間は「鬼畜米英」と叫んでいた時期です。そういう時期の英米文学専攻は、強固な信念の発露に他ならないと考えています。
六本松にあった教養部のOBOGの会、松友会は、毎年10月1日に懇親会を開催しています。橋口先生は2011年まで皆勤で、87歳のこの年、元気よく締めの挨拶をして下さいました。
福岡可愛山(えのやま)同窓会、川内中学・女学校・高校の同窓会で私が会長を仰せつかったときには、総会で「10分間講演」を企画して、先生に「アメリカ文学における女性像」という実に豊富な内容を巧みに要約された講演をして頂きました。あの時なぜ録音の用意をしておかなかったかと今に至るまで後悔が尽きません。
妻・美弥子はルーテル教会を通じて20年近く橋口先生ご夫妻に導かれておりました。そういう具合に、幾つもの糸で紡がれた橋口先生との縁ですが、先生の永遠の眠りの場も私宅近くの平尾霊園の博多ルーテル教会の墓地にあります。川内の新田神社近くの集落から始まった先生の人生の旅が、いま、福岡の平尾で天上の旅へと繋がっていることに思いを馳せつつ、先生の御冥福を心より祈念申し上げる次第です。(2020年8月31日記)
【橋口保夫先生ご経歴】
■大正13年7月31日 出生(鹿児島県川内市) ~ 令和2年7月30日召天
昭和16年 鹿児島県川内中学校卒業
昭和18年 第七高等学校文化甲類卒業
昭和18年 東京大学文学部英吉利文学科入学(19年兵役のため同学休学 21年同学復学)
昭和23年 東京大学文学部英吉利文学科卒業
昭和26年 オハイオ大学大学院修士課程修了
昭和26~39年 鹿児島大学教育学部助教授
昭和39~57年 九州大学教養部助教授・教授
昭和57~63年 福岡大学人文学部教授
昭和63年~平成5年 福岡女学院短期大学学長兼教授
平成5~8年 安田女子大学文学部教授
平成14年 勲三等瑞宝章受章
■日本ジョン・スタインベック協会初代会長(1977~1991)・名誉会長
■著書:アメリカ人の日本語・日本文化論、スタインベック短編集 (日本語)単行本…等
福岡可愛山同窓会の前会長の泰平さん(高13期)が、10年ほど前から通っていらっしゃる水彩画教室の展示会が11月26日~12月1日にNHK福岡放送局ギャラリーで開催され、4人のお孫さんをモチーフにした水彩画3点を出品されました。温かなやさしい色合いで、ほのぼのとしたぬくもりが伝わってくる素敵な絵でした。泰平さんは一時体調を崩されておりましたが今は回復され、絵を書いたり、お孫さんと一緒に遊んだり、その合間には同窓会の顧問として相談に乗ったり…と健やかな毎日をお過ごしです(2019.12記)
社会人になって今日まで、何度となく同窓会とも云うべきものに参加して来た。なぜ、このような会に参加するのか。気の置けない仲間が集い飲み食いしながら他愛ない(時には切実な・また真面目な)話に興ずる。先ずもって、そんな所から始まる。中学や高校時代の多感な時期を同じ学び舎で過ごし、そして巣立つた者同士なら尚更である。
各々の道を歩み始める。そして社会に揉まれてゆく。その中で己を意識する。その形成に影響を与えたものに時に思いを致す。同じ学校の卒業生と云う事で、皆とはある何かしらを共有している。共有している縦糸と横糸が繋がり、そこにひとつの形が現れる。それにある種の安心や自信や様々な事を覚える。
小生は大学を卒業する時に寮(4年間生活)の同窓会を立ち上げた。発端は卒業後も集まって「飲もうや」であった。たかが酒飲みに規約を作り名簿を調え会報まで発行したが、数年経つうちに残ったのは飲み会だけになった。それも次第に途切れ途切れになった。一念発起、今から20年程前に25周年の集まりを行ったが、打上げ花火のように一時の盛り上がりで終わった。
皆な社会人として第一線で過ごす時期は、定例・継続的な維持・運営は一工夫と想いが必要である。レームダック状態であったが、形だけでも維持出来てきたことは大切であった。今は初期のメンバーを中心に少人数ながら鉄板(?)の集まりで年1・2回怪気炎を上げている。これは一息つける存在である。想いがあったればこそである。可愛山同窓会は先人の想いが積み重ねられてきたものである。毎年の例会は一人一人の「これまで」と「これから」に思いを致す機会でもあり場でもある。
「来たれ 同窓の士よ 若人よ 扉は開いている 百年へ」
福岡可愛山同窓会は、これまでもそうで有ったように、倦まず・弛まずの日々が明日の後輩への道標となり、まさに伝統を受継ぎ、歴史を紡いでゆく。次の五十年は確かな道標である。(創立50周年記念誌より転載)
井上氏は福岡大学卒業後、福岡市職員として活躍。退職後、井上法務事務所を開業。学童や園児に偉人伝を語ったり、少年ラグビーチームの運営に携るなど青少年育成に尽力中。趣味は書道・畑仕事。天辰町出身。昭和43年川高卒。
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